ICU UNESCO CLUBLOG
ICUユネスコクラブのブログです。
是非ご覧ください♪
2012
こんにちは!16のみおです!
初めてこのブログを担当させて頂きます(*^^*)
今日の勉強会ではあと8日に迫ったICU祭で開催するワークショップ、「世界がもし100人の村だったら」の世界の富編のリハーサルを行いました。11/3・4両日計二回開催されるワークショップは、先週リハーサルをした文字編と二種類あるので是非お越しくださいね!
今日は実際に来てくれるお客さんを想定しつつ当日の流れを確認しました。リハーサル後のフィードバックを元にまた更に皆さんに楽しんでもらえるものを作っていきます。ワークショップの中で皆とともに世界について考えることで普段気づけないこと、学べないことに触れられる良い機会を提供できたら、と思っています。
そしてリハーサルの後はいよいよ本格的になってきた祭りの準備です。当日はワークショップだけではなく、世界のおやつ販売も行います。そのおやつの由来や背景を記したポップアップ作り、展示する模造紙の製作、飾り付け用のポンポン作りなど各部員自分の仕事に熱中しました。さてさてどんな装飾になるんでしょうか?
ワークショップや世界のおやつにどんな方々がきてくれるのか今からどきどきわくわくです!是非いらしてくださいね!お待ちしています!
*ワークショップ情報
「世界がもし100人の村だったら」
11/3 13:00〜14:30
11/4 13:00〜14:30
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2012
こんにちは!15はるなです:)
現在ユネスコクラブでは2週間後に迫ったICU祭に向けて着々と(?)準備を進めているところです!という事で今回はICU祭の企画に向けた勉強会を行いました。
まずはじめは世界のお菓子グループがそれぞれの担当の国の食文化背景や食育などについて発表してくれました。特にブラジル料理のプレゼンは美味しそうな写真のオンパレードで、とても食欲をそそられましたね(^_^.) (笑)また、アフリカ地域に関しての食支援のプレゼンでは、日清食品がチキンラーメンでアフリカの食支援をしていると学びました。日本でも、今でこそあれですが、戦後はチキンラーメンはとっておきの栄養食品として導入されていたそうです。この他にも世界の給食の写真一覧が紹介されていたのですが、それぞれお国柄がとても反映されており、興味深かったです。
まだまだここに書ききれないくらいたくさんの情報をプレゼンしてくれたのですが、こちらは当日世界のお菓子コーナーでの展示発表が予定されていますので、お楽しみに!
続いては、世界がもし百人の村だったらのワークショップのリハーサルを行いました。今回は第1弾の「文字編」を行いました(ICU祭では両日でプログラム内容がやや異なる2種類のワークショップを行う予定です。)実はまだしっかりとした準備ができていなかったため、まだまだ完成にはほど遠い状態だったのですが、部員から改善点などに関してフィードバックを集められた事が今回は1番の収穫かなあとワークショップ担当としては思っています。
あと2週間!その限られた時間の中でもっともっと練習や準備をして、当日来場してくれたみなさまに楽しんでいただけるよう頑張っていきたいと思います!当日はぜひぜひユネスコクラブのブースへお越しください☆(11/3~4です!)それでは!
現在ユネスコクラブでは2週間後に迫ったICU祭に向けて着々と(?)準備を進めているところです!という事で今回はICU祭の企画に向けた勉強会を行いました。
まずはじめは世界のお菓子グループがそれぞれの担当の国の食文化背景や食育などについて発表してくれました。特にブラジル料理のプレゼンは美味しそうな写真のオンパレードで、とても食欲をそそられましたね(^_^.) (笑)また、アフリカ地域に関しての食支援のプレゼンでは、日清食品がチキンラーメンでアフリカの食支援をしていると学びました。日本でも、今でこそあれですが、戦後はチキンラーメンはとっておきの栄養食品として導入されていたそうです。この他にも世界の給食の写真一覧が紹介されていたのですが、それぞれお国柄がとても反映されており、興味深かったです。
まだまだここに書ききれないくらいたくさんの情報をプレゼンしてくれたのですが、こちらは当日世界のお菓子コーナーでの展示発表が予定されていますので、お楽しみに!
続いては、世界がもし百人の村だったらのワークショップのリハーサルを行いました。今回は第1弾の「文字編」を行いました(ICU祭では両日でプログラム内容がやや異なる2種類のワークショップを行う予定です。)実はまだしっかりとした準備ができていなかったため、まだまだ完成にはほど遠い状態だったのですが、部員から改善点などに関してフィードバックを集められた事が今回は1番の収穫かなあとワークショップ担当としては思っています。
あと2週間!その限られた時間の中でもっともっと練習や準備をして、当日来場してくれたみなさまに楽しんでいただけるよう頑張っていきたいと思います!当日はぜひぜひユネスコクラブのブースへお越しください☆(11/3~4です!)それでは!
2012
こんにちは、14のさきです。11月始のICU祭にて私たち3年生は引退なのでこれが最後のブログになると思います。
さて、秋学期に入ってから先々週まで自分たちの興味のある内容を勉強会で取り扱おうということで行った、全3回『自死について』、『社会貢献活動(主にNGO)について』、『民族問題について』の勉強会が終了し、先週から2週間、上映会の勉強会&上映会を行いました。ICU UNESCO CLUBでは活動の一環として不定期ではありますが、年に1,2度、世界的社会問題をテーマにした映画を上映し、それについてのディスカッションをする、という活動を行っています。
今回の上映会で上映した映画は『ディア・ピョンヤン』という映画です。在日朝鮮人2世であるヤン・ヨンヒ映画監督が朝鮮総連の活動家として生きてきた自身の父と家族を10年間に渡って記録したドキュメンタリー映画で、2005年に公開されました。
数多くある社会問題についての映画の中で私たちがこの映画を選んだ理由としては、現在、日本と朝鮮半島はとても多くの問題を抱えていることから、一度その問題についてきちんと勉強する必要があると思ったからです。この映画では朝鮮総連の活動家の父を持つヤン・ヨンヒさんが長年にわたり父と母、また若くして祖国に“帰国”し、北朝鮮で暮らす3人の兄の家族を撮影していく中で、彼女自身が抱える在日朝鮮人2世としての葛藤がホームビデオのような映像とヨンヒさんの語り、また父との対話を通じて淡々と描かれていました。映画の内容に関しては、このブログを見て映画を実際に映画を見たい!という方がいらっしゃったときのために詳しくは書かないことにします(すでに十分詳しく書いてしまってるかも?)。
映画を見ていく中で、自分たちが調べただけでは知ることのできなかった在日朝鮮人のおかれている状況がよく分かり勉強になったのと同時に、在日朝鮮人の方々の心の奥に隠された感情がだんだんと見えてきて、とても心に響きました。祖国を思う気持ちは変わらないが、だんだんと現実を突きつけられ、祖国で起こっている現状に揺れ動かされる家族に、とてもショックでした。特に、南北の国交が早く正常化されると思い込み、当時まだ若かった息子3人を朝鮮に帰してしまったということに対して朝鮮総連の活動家であるヨンヒさんの両親さえも後悔の念を抱いていて、それにも関わらず、ただひたすら「祖国のため」といい続ける姿にはやりきれなさを感じました。
以下、今回の上映会の参加者の感想を一部載せておきたいと思います。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
・政府、民族組織、思想などの大きな構造の中で翻弄される個人について考えさせられました。1人の活動家とその家族をさまざまな面からみることで一枚岩ではない個人について感じました。
・思っていたよりも北朝鮮へ行きやすい現状に驚いた。もう少し朝鮮の背景を知る必要があると思いました。勉強します。
・昔からずっと日本に住んでいたのにも関わらず、お父さんの愛国心の強さに驚いた。
・在日の人たちと私たちがどう一緒に生きていくのか、在日の人たちからの問いかけや発信だと感じました。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
個人的な感想としては、私たちが事前勉強で調べたようにただ単に外交を“国と国”だけで見るのではなく、“人”を見ることはとても大切だな、と改めて感じました。普段どうしても統計や表面的な事実にばかり気をとられてしまっている自分に気付かされ、はっとしました。また、私たちが持っている“過激な朝鮮人”や“貧富の差が激しくとても貧しい北朝鮮”のステレオタイプとは全く違った姿を見ることができた貴重な映画だったと思います。映像の力ってすごいですね。
この上映会に参加してくれた人たちが、在日朝鮮人について新たな視点を得て、さらに今まで知らなかった知識をもっとくわしく調べてみたい、と思ってもらえたら嬉しいです。
このブログを通じて『ディア・ピョンヤン』に興味を持った方はぜひ見てみてください!
さあ、次週からはICU祭に向けて、準備をどんどん進めていきます!ICU祭ではワークショップとおいしい世界のお菓子を用意しておりますので、ぜひICU UNESCO CLUBのブースに足をお運びください^^
では!
さて、秋学期に入ってから先々週まで自分たちの興味のある内容を勉強会で取り扱おうということで行った、全3回『自死について』、『社会貢献活動(主にNGO)について』、『民族問題について』の勉強会が終了し、先週から2週間、上映会の勉強会&上映会を行いました。ICU UNESCO CLUBでは活動の一環として不定期ではありますが、年に1,2度、世界的社会問題をテーマにした映画を上映し、それについてのディスカッションをする、という活動を行っています。
今回の上映会で上映した映画は『ディア・ピョンヤン』という映画です。在日朝鮮人2世であるヤン・ヨンヒ映画監督が朝鮮総連の活動家として生きてきた自身の父と家族を10年間に渡って記録したドキュメンタリー映画で、2005年に公開されました。
数多くある社会問題についての映画の中で私たちがこの映画を選んだ理由としては、現在、日本と朝鮮半島はとても多くの問題を抱えていることから、一度その問題についてきちんと勉強する必要があると思ったからです。この映画では朝鮮総連の活動家の父を持つヤン・ヨンヒさんが長年にわたり父と母、また若くして祖国に“帰国”し、北朝鮮で暮らす3人の兄の家族を撮影していく中で、彼女自身が抱える在日朝鮮人2世としての葛藤がホームビデオのような映像とヨンヒさんの語り、また父との対話を通じて淡々と描かれていました。映画の内容に関しては、このブログを見て映画を実際に映画を見たい!という方がいらっしゃったときのために詳しくは書かないことにします(すでに十分詳しく書いてしまってるかも?)。
映画を見ていく中で、自分たちが調べただけでは知ることのできなかった在日朝鮮人のおかれている状況がよく分かり勉強になったのと同時に、在日朝鮮人の方々の心の奥に隠された感情がだんだんと見えてきて、とても心に響きました。祖国を思う気持ちは変わらないが、だんだんと現実を突きつけられ、祖国で起こっている現状に揺れ動かされる家族に、とてもショックでした。特に、南北の国交が早く正常化されると思い込み、当時まだ若かった息子3人を朝鮮に帰してしまったということに対して朝鮮総連の活動家であるヨンヒさんの両親さえも後悔の念を抱いていて、それにも関わらず、ただひたすら「祖国のため」といい続ける姿にはやりきれなさを感じました。
以下、今回の上映会の参加者の感想を一部載せておきたいと思います。
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
・政府、民族組織、思想などの大きな構造の中で翻弄される個人について考えさせられました。1人の活動家とその家族をさまざまな面からみることで一枚岩ではない個人について感じました。
・思っていたよりも北朝鮮へ行きやすい現状に驚いた。もう少し朝鮮の背景を知る必要があると思いました。勉強します。
・昔からずっと日本に住んでいたのにも関わらず、お父さんの愛国心の強さに驚いた。
・在日の人たちと私たちがどう一緒に生きていくのか、在日の人たちからの問いかけや発信だと感じました。
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個人的な感想としては、私たちが事前勉強で調べたようにただ単に外交を“国と国”だけで見るのではなく、“人”を見ることはとても大切だな、と改めて感じました。普段どうしても統計や表面的な事実にばかり気をとられてしまっている自分に気付かされ、はっとしました。また、私たちが持っている“過激な朝鮮人”や“貧富の差が激しくとても貧しい北朝鮮”のステレオタイプとは全く違った姿を見ることができた貴重な映画だったと思います。映像の力ってすごいですね。
この上映会に参加してくれた人たちが、在日朝鮮人について新たな視点を得て、さらに今まで知らなかった知識をもっとくわしく調べてみたい、と思ってもらえたら嬉しいです。
このブログを通じて『ディア・ピョンヤン』に興味を持った方はぜひ見てみてください!
さあ、次週からはICU祭に向けて、準備をどんどん進めていきます!ICU祭ではワークショップとおいしい世界のお菓子を用意しておりますので、ぜひICU UNESCO CLUBのブースに足をお運びください^^
では!
2012
こんにちは!ブログの更新が遅くなってしまいすみません...
今回初めて担当させて頂きます、16のゆきえです。
10月5日の勉強会では、次週に映画『ディア・ピョンヤン』を上映することから、日本と朝鮮半島に関連する歴史、問題などについてのプレゼンテーションとディスカッションを行いました。
そもそも、日本と朝鮮半島では、どのような歴史上の接点があったのでしょうか?
弥生時代にまでさかのぼると、日本と朝鮮半島は友好的に文化交流を行っていたそうです。
しかし、1274年、1281年の二回にわたる元寇(モンゴルと朝鮮の連合軍)の日本に対する侵攻で、両者は対立。この攻撃の背景には、日本の海賊が侵攻したこと、また侵攻の際に朝鮮を荒したことがあったそうです。
1367年には国交回復、通信使を送るなどの交流が200年ほど続いた。
ところが1592・1597年、国内にある様々な問題に対する目を海外にそらす目的で日本は朝鮮に侵略。このときの朝鮮の被害が大きかったことから、後の日本観形成に大きな影響を与えた。
1607年、日本は鎖国時代のなか、朝鮮とだけは国交を回復し、外交関係を結ぶ。貿易も盛んだったそうだ。
近代に入ると、韓国と日本は、支配被支配の関係におかれる。
1895年に日清戦争に勝った日本は清との間に下関条約を結び、韓国を影響下におく。韓国側は抵抗を10年以上続けるものの、1910年に日本は韓国を併合、ソウルに朝鮮総督府をおいた。1919年に三・一運動を起こすなど、韓国側の抵抗は続いたが、日本が第二次世界大戦で降伏するまで支配下におかれ続けた。1945年に韓国は独立、1948年北緯38度線を境に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の二国が建国された。
そんなグラウンドを抱えるなかで、在日朝鮮人はどのような状況におかれているのだろうか。
現在、在日朝鮮人は578495人(2009年時点)で、そのうち約半数が日本に帰化している。
日本国憲法第25条で国民の権利は保障されるとされているが、朝鮮人は「国民」の対象外として権利は制限されてしまっており、かつ、納税義務はあるなど、義務の部分は日本人同様に扱われている。
例えば、年金は1986年までは外国人は受け取ることができず、またそれ以降でも、1981年時点で35歳以上だと年金を受けとることができないなどの問題が残っている。
永住権においても、韓国籍を取得した在日朝鮮人に限って優遇し、協定永住においても、協定3世が永住権を得ることが難しいなどの問題がある。
また、このような環境のなかで在日朝鮮人として日本にとどまったのには、歴史的なバックグラウンドもある。
彼らのなかには、戦時中に土地を日本人に奪われ雇用の機会を失って、日本へ来ざるを得なかった人もいる。戦後、無料で朝鮮に帰ることのできる政策ができたが、朝鮮で生活をする手だてのない人は、日本に残らざるを得なかったのである。
このように、日本に住んでいる朝鮮人に対する待遇には様々な問題を抱えていますが、では、日本と朝鮮という国家間では、どのような問題があげられるのでしょうか。
例えば、軍事的な問題では、北朝鮮による日本に向けたミサイルの発射、核実験を行っていること、などが挙げられます。
よくニュースになる問題で言えば、拉致問題がありますね。これは、1970-1980年代にかけて、多くの日本人が不自然な形で行方不明になり、実はこれが北朝鮮による拉致だったというものです。2002年に北朝鮮は拉致の事実を認めたものの、まだこの問題は解決していません。
また、日本側の朝鮮人学校への対応にも、幾つか問題が挙げられます。
1948年に朝鮮学校の独自の教育を否認し、1949年には朝鮮学校閉鎖令が出されています。1975年にすべての学校が許可されましたが、現在、高校無償化の対象外になっている(他の外国人学校は対象内)などの問題が垣間見られます。
ここで、この問題について考えるためのディスカッションを行いました。
橋本市長の動画を見て、彼の「朝鮮人学校の高校無償化は拉致問題解決のあとだ」という発言についてどう考えるのかについて話し合いました。
彼の意見に賛成だった人は、教育により作られた考え方が政治においても影響を与えるということを理由に挙げており、また反対の人は、教育を受ける権利と政治を混同すべきでないという理由を挙げていました。
全体としてうかがえたのは、どちらの立場にある人も、普段のディスカッションに比べて感情的であったということです。日本に関連してくる問題で、客観的に話し合いを行うのは難しいのだと実感させられた瞬間でした。
その後、韓国と日本の間にある問題として挙げられていたのが、竹島はどちらの国に帰属するのかという問題です。
どちらの国も領有権を主張しており、この領土問題はまだ解決していません。
最後に、映画『ディア・ピョンヤン』についての概要、監督について説明して頂きました。
全体をとおして、次週の映画上映までに、もっと在日朝鮮人について考えてみたいと思うような内容でした。
プレゼンを担当して頂いた、14のさきさん、かおさん、まりさん、15のうっちーさん、ありがとうございました!
今回初めて担当させて頂きます、16のゆきえです。
10月5日の勉強会では、次週に映画『ディア・ピョンヤン』を上映することから、日本と朝鮮半島に関連する歴史、問題などについてのプレゼンテーションとディスカッションを行いました。
そもそも、日本と朝鮮半島では、どのような歴史上の接点があったのでしょうか?
弥生時代にまでさかのぼると、日本と朝鮮半島は友好的に文化交流を行っていたそうです。
しかし、1274年、1281年の二回にわたる元寇(モンゴルと朝鮮の連合軍)の日本に対する侵攻で、両者は対立。この攻撃の背景には、日本の海賊が侵攻したこと、また侵攻の際に朝鮮を荒したことがあったそうです。
1367年には国交回復、通信使を送るなどの交流が200年ほど続いた。
ところが1592・1597年、国内にある様々な問題に対する目を海外にそらす目的で日本は朝鮮に侵略。このときの朝鮮の被害が大きかったことから、後の日本観形成に大きな影響を与えた。
1607年、日本は鎖国時代のなか、朝鮮とだけは国交を回復し、外交関係を結ぶ。貿易も盛んだったそうだ。
近代に入ると、韓国と日本は、支配被支配の関係におかれる。
1895年に日清戦争に勝った日本は清との間に下関条約を結び、韓国を影響下におく。韓国側は抵抗を10年以上続けるものの、1910年に日本は韓国を併合、ソウルに朝鮮総督府をおいた。1919年に三・一運動を起こすなど、韓国側の抵抗は続いたが、日本が第二次世界大戦で降伏するまで支配下におかれ続けた。1945年に韓国は独立、1948年北緯38度線を境に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の二国が建国された。
そんなグラウンドを抱えるなかで、在日朝鮮人はどのような状況におかれているのだろうか。
現在、在日朝鮮人は578495人(2009年時点)で、そのうち約半数が日本に帰化している。
日本国憲法第25条で国民の権利は保障されるとされているが、朝鮮人は「国民」の対象外として権利は制限されてしまっており、かつ、納税義務はあるなど、義務の部分は日本人同様に扱われている。
例えば、年金は1986年までは外国人は受け取ることができず、またそれ以降でも、1981年時点で35歳以上だと年金を受けとることができないなどの問題が残っている。
永住権においても、韓国籍を取得した在日朝鮮人に限って優遇し、協定永住においても、協定3世が永住権を得ることが難しいなどの問題がある。
また、このような環境のなかで在日朝鮮人として日本にとどまったのには、歴史的なバックグラウンドもある。
彼らのなかには、戦時中に土地を日本人に奪われ雇用の機会を失って、日本へ来ざるを得なかった人もいる。戦後、無料で朝鮮に帰ることのできる政策ができたが、朝鮮で生活をする手だてのない人は、日本に残らざるを得なかったのである。
このように、日本に住んでいる朝鮮人に対する待遇には様々な問題を抱えていますが、では、日本と朝鮮という国家間では、どのような問題があげられるのでしょうか。
例えば、軍事的な問題では、北朝鮮による日本に向けたミサイルの発射、核実験を行っていること、などが挙げられます。
よくニュースになる問題で言えば、拉致問題がありますね。これは、1970-1980年代にかけて、多くの日本人が不自然な形で行方不明になり、実はこれが北朝鮮による拉致だったというものです。2002年に北朝鮮は拉致の事実を認めたものの、まだこの問題は解決していません。
また、日本側の朝鮮人学校への対応にも、幾つか問題が挙げられます。
1948年に朝鮮学校の独自の教育を否認し、1949年には朝鮮学校閉鎖令が出されています。1975年にすべての学校が許可されましたが、現在、高校無償化の対象外になっている(他の外国人学校は対象内)などの問題が垣間見られます。
ここで、この問題について考えるためのディスカッションを行いました。
橋本市長の動画を見て、彼の「朝鮮人学校の高校無償化は拉致問題解決のあとだ」という発言についてどう考えるのかについて話し合いました。
彼の意見に賛成だった人は、教育により作られた考え方が政治においても影響を与えるということを理由に挙げており、また反対の人は、教育を受ける権利と政治を混同すべきでないという理由を挙げていました。
全体としてうかがえたのは、どちらの立場にある人も、普段のディスカッションに比べて感情的であったということです。日本に関連してくる問題で、客観的に話し合いを行うのは難しいのだと実感させられた瞬間でした。
その後、韓国と日本の間にある問題として挙げられていたのが、竹島はどちらの国に帰属するのかという問題です。
どちらの国も領有権を主張しており、この領土問題はまだ解決していません。
最後に、映画『ディア・ピョンヤン』についての概要、監督について説明して頂きました。
全体をとおして、次週の映画上映までに、もっと在日朝鮮人について考えてみたいと思うような内容でした。
プレゼンを担当して頂いた、14のさきさん、かおさん、まりさん、15のうっちーさん、ありがとうございました!
2012
こんにちは。
初めてこのブログ書かせてもらいます、16のももです。
昨日、9/28の勉強会のテーマは「民族問題」でした。
まず初めに、民族ってそもそも何だろう?という定義の話から始まりました。
みなさんは、「民族」という言葉を聞いた時に、どのような言葉を思い浮かべますか?
一般的には、「言語、人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」と定義づけられるそうです。
しかし、英語だと、ethnic, nation, raceなど、様々な英単語が思い浮かぶのではないでしょうか?
つまり、日本における「民族」という言葉は様々な意味を含んでいて、意味を定めづらい、あいまいな言葉であることがわかります。
それは他の国においてもあてはまることだと言えるようです。
そんな、あいまいなものである「民族」ですが、次に具体的に「民族問題」と呼ばれる問題を見ることを通して、民族とは何かを考えました。
まずは、イスラエル・パレスチナ問題を考えてみました。
イスラエルパレスチナ問題は宗教対立なのか、また、この問題において、民族を分ける主な基準となっているのは、宗教なのかという問いが投げかけられました。
この問いに対する答えは、NOです。
パレスチナ=アラブ人≠イスラム教徒ということは可能ですが、イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教徒という図式は正しくありません。
この発表を担当したゆきえは、イスラエルパレスチナ学生会議という団体にも所属しています。
今年の夏には実際にイスラエル・パレスチナからやって来た彼らとの交流の機会をもったそうです。
その時に行われた、アイデンティティのディスカッションの様子を紹介し、彼らが自分自身の所属意識をどこにおいているのか、という視点から、発表をしてくれました。
イスラエル国籍を持った人の中にも、イスラエル側の人、パレスチナ側の人、そしてnutralな立場を取っている人がいたといいます。
そして、パレスチナから来た人の中にも、パレスチナ側の人、nutralな人がいた、ということを踏まえ、文化、宗教などの違いも民族を分けるときの要素になりえるが、当事者たちが自分自身の所属意識をどこにもつのかの方が民族を分けるときの重要な要素になるといえる、という見解を示してくれました。
続いて、ルワンダのツチ族・フツ族の民族問題がケーススタディとして取り上げられました。
ルワンダは、フツ族84%、ツチ族14%、そしてトゥワ族1%で構成されています。
今回は主にフツ族・ツチ族の間の問題を見つめ、民族について考えました。
みなさんは、ツチ族・フツ族の違いは何だかわかりますか?
一般的にはツチ族は牧畜を営み、豊かであるとされています。
それに対し、フツ族は農耕を生業とし、比較的貧しいことが違いとして挙げられます。
また、外見的な違いとしては、ツチ族は細身で肌の色が薄く、鼻が小さく、唇も薄いこと、反対にフツ族は体格が大きく、肌の色が濃く、鼻は大きく唇は厚いことが特徴とされるそうです。
しかし、次にカラー写真を見ながら、ツチ族の人かフツ族の人か予想するクイズをしましたが、それらの特徴を見分けるのはとても難しいことがわかりました。
ルワンダは1899年にドイツ領東アフリカに加えられ、1919年にはベルギーの領土になりました。
それ以前は、ツチ族フツ族間の結婚も行われていて、2つの集団の境界線はあいまいなものだったようです。
しかし、ベルギーの「ツチ優遇政策」のために、身分証明書が導入されるなど、人為的な境界線がひかれるようになったことが紹介されました。
その後、ルワンダの歴史的な歩みを学び、ルワンダの大きな民族問題、ルワンダ虐殺について見ていきました。
この虐殺に一般の人々が参加したのには、ルワンダ愛国戦線(RPF)への報復という倫理、メディア(特にラジオ)により、人々は「人種が違う」という意識を植え付けられ、利用されたという背景があるといいます。
そんな、大きな境界線を引かれたツチ族とフツ族ですが、現在はめざましい成長を遂げ、「アフリカの奇跡」とまで呼ばれています。
また、ルワンダの大統領は「各地域が家族のように融合して一つにまとまった国であると実感できる国であること。発展し貧困のない国であること。民主主義の国であること。そしてとりわけ我が国はもとより、近隣諸国とも同様に仲良く平和で安定した国であること。それが私の理想とするルワンダです。」という声明を出しています。
しかし、虐殺の傷跡は今も深くその地に残っているといいます。
日本ルワンダ学生会議というところ作成した「ルワンダ:光と影」というビデオを見ました。
このビデオでは、加害者が被害者の家を建て直す活動を行っている民間団体の活動を取り上げていました。
両者の和解は簡単になされるわけではありませんが、意識的に分けられた「民族」の境界線をなくそうとしている様子が伝わってきました。
また、ルワンダ大使館のHPでは、「民族構成」という項目は設けていないそうです。
最後にDiscussion Question として、『ツチ・フツという民族はない』という言葉に、あなたは賛成か反対かという質問が出されました。
グループに分かれ、ディスカッションを行った結果、全部のグループ、そして全員がこの言葉に反対であるという結果になりました。
つまり、みんながツチ・フツという民族はあると考えたということです。
民族間の境界線はないけれども、「民族」としてツチ族・フツ族は存在しているのではないか。
虐殺が起きてしまったことにより、「民族」をネガティブにとらえてしまいがちだが、本来は文化や伝統を共有する集団である「民族」はポジティブにとらえ、その存在も肯定してよいではないか。
ルワンダの歴史を、虐殺も含めて振り返ったときに、民族がないと言ってしまうことは不自然であり、許されないのではないか。
虐殺を経験した人々がまだ生きているということは、まだ人々の中に民族意識というのは残っているのではないか。
などが、「ツチ・フツという民族はある」と考えた理由として挙げられました。
今回の発表で、民族は何かという明確な答えが出たわけではありません。
しかし、今まで漠然ととらえていた民族について考える機会を持つことができました。
また、民族を肯定的にとらえ直すよい機会にもなりました。
初めてこのブログ書かせてもらいます、16のももです。
昨日、9/28の勉強会のテーマは「民族問題」でした。
まず初めに、民族ってそもそも何だろう?という定義の話から始まりました。
みなさんは、「民族」という言葉を聞いた時に、どのような言葉を思い浮かべますか?
一般的には、「言語、人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」と定義づけられるそうです。
しかし、英語だと、ethnic, nation, raceなど、様々な英単語が思い浮かぶのではないでしょうか?
つまり、日本における「民族」という言葉は様々な意味を含んでいて、意味を定めづらい、あいまいな言葉であることがわかります。
それは他の国においてもあてはまることだと言えるようです。
そんな、あいまいなものである「民族」ですが、次に具体的に「民族問題」と呼ばれる問題を見ることを通して、民族とは何かを考えました。
まずは、イスラエル・パレスチナ問題を考えてみました。
イスラエルパレスチナ問題は宗教対立なのか、また、この問題において、民族を分ける主な基準となっているのは、宗教なのかという問いが投げかけられました。
この問いに対する答えは、NOです。
パレスチナ=アラブ人≠イスラム教徒ということは可能ですが、イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教徒という図式は正しくありません。
この発表を担当したゆきえは、イスラエルパレスチナ学生会議という団体にも所属しています。
今年の夏には実際にイスラエル・パレスチナからやって来た彼らとの交流の機会をもったそうです。
その時に行われた、アイデンティティのディスカッションの様子を紹介し、彼らが自分自身の所属意識をどこにおいているのか、という視点から、発表をしてくれました。
イスラエル国籍を持った人の中にも、イスラエル側の人、パレスチナ側の人、そしてnutralな立場を取っている人がいたといいます。
そして、パレスチナから来た人の中にも、パレスチナ側の人、nutralな人がいた、ということを踏まえ、文化、宗教などの違いも民族を分けるときの要素になりえるが、当事者たちが自分自身の所属意識をどこにもつのかの方が民族を分けるときの重要な要素になるといえる、という見解を示してくれました。
続いて、ルワンダのツチ族・フツ族の民族問題がケーススタディとして取り上げられました。
ルワンダは、フツ族84%、ツチ族14%、そしてトゥワ族1%で構成されています。
今回は主にフツ族・ツチ族の間の問題を見つめ、民族について考えました。
みなさんは、ツチ族・フツ族の違いは何だかわかりますか?
一般的にはツチ族は牧畜を営み、豊かであるとされています。
それに対し、フツ族は農耕を生業とし、比較的貧しいことが違いとして挙げられます。
また、外見的な違いとしては、ツチ族は細身で肌の色が薄く、鼻が小さく、唇も薄いこと、反対にフツ族は体格が大きく、肌の色が濃く、鼻は大きく唇は厚いことが特徴とされるそうです。
しかし、次にカラー写真を見ながら、ツチ族の人かフツ族の人か予想するクイズをしましたが、それらの特徴を見分けるのはとても難しいことがわかりました。
ルワンダは1899年にドイツ領東アフリカに加えられ、1919年にはベルギーの領土になりました。
それ以前は、ツチ族フツ族間の結婚も行われていて、2つの集団の境界線はあいまいなものだったようです。
しかし、ベルギーの「ツチ優遇政策」のために、身分証明書が導入されるなど、人為的な境界線がひかれるようになったことが紹介されました。
その後、ルワンダの歴史的な歩みを学び、ルワンダの大きな民族問題、ルワンダ虐殺について見ていきました。
この虐殺に一般の人々が参加したのには、ルワンダ愛国戦線(RPF)への報復という倫理、メディア(特にラジオ)により、人々は「人種が違う」という意識を植え付けられ、利用されたという背景があるといいます。
そんな、大きな境界線を引かれたツチ族とフツ族ですが、現在はめざましい成長を遂げ、「アフリカの奇跡」とまで呼ばれています。
また、ルワンダの大統領は「各地域が家族のように融合して一つにまとまった国であると実感できる国であること。発展し貧困のない国であること。民主主義の国であること。そしてとりわけ我が国はもとより、近隣諸国とも同様に仲良く平和で安定した国であること。それが私の理想とするルワンダです。」という声明を出しています。
しかし、虐殺の傷跡は今も深くその地に残っているといいます。
日本ルワンダ学生会議というところ作成した「ルワンダ:光と影」というビデオを見ました。
このビデオでは、加害者が被害者の家を建て直す活動を行っている民間団体の活動を取り上げていました。
両者の和解は簡単になされるわけではありませんが、意識的に分けられた「民族」の境界線をなくそうとしている様子が伝わってきました。
また、ルワンダ大使館のHPでは、「民族構成」という項目は設けていないそうです。
最後にDiscussion Question として、『ツチ・フツという民族はない』という言葉に、あなたは賛成か反対かという質問が出されました。
グループに分かれ、ディスカッションを行った結果、全部のグループ、そして全員がこの言葉に反対であるという結果になりました。
つまり、みんながツチ・フツという民族はあると考えたということです。
民族間の境界線はないけれども、「民族」としてツチ族・フツ族は存在しているのではないか。
虐殺が起きてしまったことにより、「民族」をネガティブにとらえてしまいがちだが、本来は文化や伝統を共有する集団である「民族」はポジティブにとらえ、その存在も肯定してよいではないか。
ルワンダの歴史を、虐殺も含めて振り返ったときに、民族がないと言ってしまうことは不自然であり、許されないのではないか。
虐殺を経験した人々がまだ生きているということは、まだ人々の中に民族意識というのは残っているのではないか。
などが、「ツチ・フツという民族はある」と考えた理由として挙げられました。
今回の発表で、民族は何かという明確な答えが出たわけではありません。
しかし、今まで漠然ととらえていた民族について考える機会を持つことができました。
また、民族を肯定的にとらえ直すよい機会にもなりました。
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ICUユネスコクラブ
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非公開
自己紹介:
東京都三鷹市にある国際基督教大学(ICU)の公認サークル。
ユネスコ憲章前文の”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”という文章に賛同した学生たちが集まり、身近なところから世界の問題まで、興味を持ったことに関する勉強会を行っています。
活動時間:
火曜日→13:10~13:50:昼ミート@新D371
金曜日→19:10~21:30:勉強会(場所はTwtterやFacebookでご確認下さい)
ユネスコ憲章前文の”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”という文章に賛同した学生たちが集まり、身近なところから世界の問題まで、興味を持ったことに関する勉強会を行っています。
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