ICU UNESCO CLUBLOG
ICUユネスコクラブのブログです。
是非ご覧ください♪
2012
こんにちは。
初めてこのブログ書かせてもらいます、16のももです。
昨日、9/28の勉強会のテーマは「民族問題」でした。
まず初めに、民族ってそもそも何だろう?という定義の話から始まりました。
みなさんは、「民族」という言葉を聞いた時に、どのような言葉を思い浮かべますか?
一般的には、「言語、人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」と定義づけられるそうです。
しかし、英語だと、ethnic, nation, raceなど、様々な英単語が思い浮かぶのではないでしょうか?
つまり、日本における「民族」という言葉は様々な意味を含んでいて、意味を定めづらい、あいまいな言葉であることがわかります。
それは他の国においてもあてはまることだと言えるようです。
そんな、あいまいなものである「民族」ですが、次に具体的に「民族問題」と呼ばれる問題を見ることを通して、民族とは何かを考えました。
まずは、イスラエル・パレスチナ問題を考えてみました。
イスラエルパレスチナ問題は宗教対立なのか、また、この問題において、民族を分ける主な基準となっているのは、宗教なのかという問いが投げかけられました。
この問いに対する答えは、NOです。
パレスチナ=アラブ人≠イスラム教徒ということは可能ですが、イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教徒という図式は正しくありません。
この発表を担当したゆきえは、イスラエルパレスチナ学生会議という団体にも所属しています。
今年の夏には実際にイスラエル・パレスチナからやって来た彼らとの交流の機会をもったそうです。
その時に行われた、アイデンティティのディスカッションの様子を紹介し、彼らが自分自身の所属意識をどこにおいているのか、という視点から、発表をしてくれました。
イスラエル国籍を持った人の中にも、イスラエル側の人、パレスチナ側の人、そしてnutralな立場を取っている人がいたといいます。
そして、パレスチナから来た人の中にも、パレスチナ側の人、nutralな人がいた、ということを踏まえ、文化、宗教などの違いも民族を分けるときの要素になりえるが、当事者たちが自分自身の所属意識をどこにもつのかの方が民族を分けるときの重要な要素になるといえる、という見解を示してくれました。
続いて、ルワンダのツチ族・フツ族の民族問題がケーススタディとして取り上げられました。
ルワンダは、フツ族84%、ツチ族14%、そしてトゥワ族1%で構成されています。
今回は主にフツ族・ツチ族の間の問題を見つめ、民族について考えました。
みなさんは、ツチ族・フツ族の違いは何だかわかりますか?
一般的にはツチ族は牧畜を営み、豊かであるとされています。
それに対し、フツ族は農耕を生業とし、比較的貧しいことが違いとして挙げられます。
また、外見的な違いとしては、ツチ族は細身で肌の色が薄く、鼻が小さく、唇も薄いこと、反対にフツ族は体格が大きく、肌の色が濃く、鼻は大きく唇は厚いことが特徴とされるそうです。
しかし、次にカラー写真を見ながら、ツチ族の人かフツ族の人か予想するクイズをしましたが、それらの特徴を見分けるのはとても難しいことがわかりました。
ルワンダは1899年にドイツ領東アフリカに加えられ、1919年にはベルギーの領土になりました。
それ以前は、ツチ族フツ族間の結婚も行われていて、2つの集団の境界線はあいまいなものだったようです。
しかし、ベルギーの「ツチ優遇政策」のために、身分証明書が導入されるなど、人為的な境界線がひかれるようになったことが紹介されました。
その後、ルワンダの歴史的な歩みを学び、ルワンダの大きな民族問題、ルワンダ虐殺について見ていきました。
この虐殺に一般の人々が参加したのには、ルワンダ愛国戦線(RPF)への報復という倫理、メディア(特にラジオ)により、人々は「人種が違う」という意識を植え付けられ、利用されたという背景があるといいます。
そんな、大きな境界線を引かれたツチ族とフツ族ですが、現在はめざましい成長を遂げ、「アフリカの奇跡」とまで呼ばれています。
また、ルワンダの大統領は「各地域が家族のように融合して一つにまとまった国であると実感できる国であること。発展し貧困のない国であること。民主主義の国であること。そしてとりわけ我が国はもとより、近隣諸国とも同様に仲良く平和で安定した国であること。それが私の理想とするルワンダです。」という声明を出しています。
しかし、虐殺の傷跡は今も深くその地に残っているといいます。
日本ルワンダ学生会議というところ作成した「ルワンダ:光と影」というビデオを見ました。
このビデオでは、加害者が被害者の家を建て直す活動を行っている民間団体の活動を取り上げていました。
両者の和解は簡単になされるわけではありませんが、意識的に分けられた「民族」の境界線をなくそうとしている様子が伝わってきました。
また、ルワンダ大使館のHPでは、「民族構成」という項目は設けていないそうです。
最後にDiscussion Question として、『ツチ・フツという民族はない』という言葉に、あなたは賛成か反対かという質問が出されました。
グループに分かれ、ディスカッションを行った結果、全部のグループ、そして全員がこの言葉に反対であるという結果になりました。
つまり、みんながツチ・フツという民族はあると考えたということです。
民族間の境界線はないけれども、「民族」としてツチ族・フツ族は存在しているのではないか。
虐殺が起きてしまったことにより、「民族」をネガティブにとらえてしまいがちだが、本来は文化や伝統を共有する集団である「民族」はポジティブにとらえ、その存在も肯定してよいではないか。
ルワンダの歴史を、虐殺も含めて振り返ったときに、民族がないと言ってしまうことは不自然であり、許されないのではないか。
虐殺を経験した人々がまだ生きているということは、まだ人々の中に民族意識というのは残っているのではないか。
などが、「ツチ・フツという民族はある」と考えた理由として挙げられました。
今回の発表で、民族は何かという明確な答えが出たわけではありません。
しかし、今まで漠然ととらえていた民族について考える機会を持つことができました。
また、民族を肯定的にとらえ直すよい機会にもなりました。
初めてこのブログ書かせてもらいます、16のももです。
昨日、9/28の勉強会のテーマは「民族問題」でした。
まず初めに、民族ってそもそも何だろう?という定義の話から始まりました。
みなさんは、「民族」という言葉を聞いた時に、どのような言葉を思い浮かべますか?
一般的には、「言語、人種・文化・歴史的運命を共有し、同族意識によって結ばれた人々の集団」と定義づけられるそうです。
しかし、英語だと、ethnic, nation, raceなど、様々な英単語が思い浮かぶのではないでしょうか?
つまり、日本における「民族」という言葉は様々な意味を含んでいて、意味を定めづらい、あいまいな言葉であることがわかります。
それは他の国においてもあてはまることだと言えるようです。
そんな、あいまいなものである「民族」ですが、次に具体的に「民族問題」と呼ばれる問題を見ることを通して、民族とは何かを考えました。
まずは、イスラエル・パレスチナ問題を考えてみました。
イスラエルパレスチナ問題は宗教対立なのか、また、この問題において、民族を分ける主な基準となっているのは、宗教なのかという問いが投げかけられました。
この問いに対する答えは、NOです。
パレスチナ=アラブ人≠イスラム教徒ということは可能ですが、イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教徒という図式は正しくありません。
この発表を担当したゆきえは、イスラエルパレスチナ学生会議という団体にも所属しています。
今年の夏には実際にイスラエル・パレスチナからやって来た彼らとの交流の機会をもったそうです。
その時に行われた、アイデンティティのディスカッションの様子を紹介し、彼らが自分自身の所属意識をどこにおいているのか、という視点から、発表をしてくれました。
イスラエル国籍を持った人の中にも、イスラエル側の人、パレスチナ側の人、そしてnutralな立場を取っている人がいたといいます。
そして、パレスチナから来た人の中にも、パレスチナ側の人、nutralな人がいた、ということを踏まえ、文化、宗教などの違いも民族を分けるときの要素になりえるが、当事者たちが自分自身の所属意識をどこにもつのかの方が民族を分けるときの重要な要素になるといえる、という見解を示してくれました。
続いて、ルワンダのツチ族・フツ族の民族問題がケーススタディとして取り上げられました。
ルワンダは、フツ族84%、ツチ族14%、そしてトゥワ族1%で構成されています。
今回は主にフツ族・ツチ族の間の問題を見つめ、民族について考えました。
みなさんは、ツチ族・フツ族の違いは何だかわかりますか?
一般的にはツチ族は牧畜を営み、豊かであるとされています。
それに対し、フツ族は農耕を生業とし、比較的貧しいことが違いとして挙げられます。
また、外見的な違いとしては、ツチ族は細身で肌の色が薄く、鼻が小さく、唇も薄いこと、反対にフツ族は体格が大きく、肌の色が濃く、鼻は大きく唇は厚いことが特徴とされるそうです。
しかし、次にカラー写真を見ながら、ツチ族の人かフツ族の人か予想するクイズをしましたが、それらの特徴を見分けるのはとても難しいことがわかりました。
ルワンダは1899年にドイツ領東アフリカに加えられ、1919年にはベルギーの領土になりました。
それ以前は、ツチ族フツ族間の結婚も行われていて、2つの集団の境界線はあいまいなものだったようです。
しかし、ベルギーの「ツチ優遇政策」のために、身分証明書が導入されるなど、人為的な境界線がひかれるようになったことが紹介されました。
その後、ルワンダの歴史的な歩みを学び、ルワンダの大きな民族問題、ルワンダ虐殺について見ていきました。
この虐殺に一般の人々が参加したのには、ルワンダ愛国戦線(RPF)への報復という倫理、メディア(特にラジオ)により、人々は「人種が違う」という意識を植え付けられ、利用されたという背景があるといいます。
そんな、大きな境界線を引かれたツチ族とフツ族ですが、現在はめざましい成長を遂げ、「アフリカの奇跡」とまで呼ばれています。
また、ルワンダの大統領は「各地域が家族のように融合して一つにまとまった国であると実感できる国であること。発展し貧困のない国であること。民主主義の国であること。そしてとりわけ我が国はもとより、近隣諸国とも同様に仲良く平和で安定した国であること。それが私の理想とするルワンダです。」という声明を出しています。
しかし、虐殺の傷跡は今も深くその地に残っているといいます。
日本ルワンダ学生会議というところ作成した「ルワンダ:光と影」というビデオを見ました。
このビデオでは、加害者が被害者の家を建て直す活動を行っている民間団体の活動を取り上げていました。
両者の和解は簡単になされるわけではありませんが、意識的に分けられた「民族」の境界線をなくそうとしている様子が伝わってきました。
また、ルワンダ大使館のHPでは、「民族構成」という項目は設けていないそうです。
最後にDiscussion Question として、『ツチ・フツという民族はない』という言葉に、あなたは賛成か反対かという質問が出されました。
グループに分かれ、ディスカッションを行った結果、全部のグループ、そして全員がこの言葉に反対であるという結果になりました。
つまり、みんながツチ・フツという民族はあると考えたということです。
民族間の境界線はないけれども、「民族」としてツチ族・フツ族は存在しているのではないか。
虐殺が起きてしまったことにより、「民族」をネガティブにとらえてしまいがちだが、本来は文化や伝統を共有する集団である「民族」はポジティブにとらえ、その存在も肯定してよいではないか。
ルワンダの歴史を、虐殺も含めて振り返ったときに、民族がないと言ってしまうことは不自然であり、許されないのではないか。
虐殺を経験した人々がまだ生きているということは、まだ人々の中に民族意識というのは残っているのではないか。
などが、「ツチ・フツという民族はある」と考えた理由として挙げられました。
今回の発表で、民族は何かという明確な答えが出たわけではありません。
しかし、今まで漠然ととらえていた民族について考える機会を持つことができました。
また、民族を肯定的にとらえ直すよい機会にもなりました。
PR
Post your Comment
プロフィール
HN:
ICUユネスコクラブ
HP:
性別:
非公開
自己紹介:
東京都三鷹市にある国際基督教大学(ICU)の公認サークル。
ユネスコ憲章前文の”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”という文章に賛同した学生たちが集まり、身近なところから世界の問題まで、興味を持ったことに関する勉強会を行っています。
活動時間:
火曜日→13:10~13:50:昼ミート@新D371
金曜日→19:10~21:30:勉強会(場所はTwtterやFacebookでご確認下さい)
ユネスコ憲章前文の”戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。”という文章に賛同した学生たちが集まり、身近なところから世界の問題まで、興味を持ったことに関する勉強会を行っています。
活動時間:
火曜日→13:10~13:50:昼ミート@新D371
金曜日→19:10~21:30:勉強会(場所はTwtterやFacebookでご確認下さい)
最新記事
(03/09)
(03/08)
(03/07)
(10/10)
(06/02)
カテゴリー
カレンダー
ブログ内検索